母国・コートジボワールの内戦を1週間止めた英雄ディディエ・ドログバ。
いまの強豪チェルシーを作り上げた一員の選手で、フィジカルキングなどの愛称で親しまれていました。
本記事では、
- ドログバの現役時代ってどうだったの?
- 全盛期はどんなプレースタイルだった?
- どんなエピソードがあったの?
などなど、ドログバのことを存分に知れる内容になっています。ドログバについて調べている方は、ぜひ参考にしてください。
全盛期ってすごかった?ディディエ・ドログバのプレースタイル
圧倒的なパワーと高い得点力
ドログバを語る上で、外せないお話が「パワー」です。
パワーストライカーとも呼ばれており、地上戦・空中戦ともに当たり負けしないフィジカルの強さを持ち、ロベカルやジェラードのような強烈なシュートを打つことができました。
それゆえに、ドログバが全盛期のときは「フィジカルお化け」「フィジカルモンスター」などと揶揄されていたこともありました。
現代サッカーでドログバに近しい選手といえば、インテルで活躍するベルギー代表ロメロ・ルカクになります。
とはいえ、ルカクよりもパワーに溢れていましたし、何より得点能力の高さはドログバが凄まじかったです。
キャリアハイとなったチェルシー時代の09-10シーズンでは、公式戦37ゴール15アシスト。
まさに怪物的な数字を残していますし、通算104試合に出場したコートジボワール代表では65ゴールの大記録を持っています。
ドログバはパワーもさることながら、抜群のシュートセンスに加えてヘディングの強さやポストレプレーでチームに貢献し続けたセンターフォワードです。
Didier Drogba - The King
Arguably one of the most fearsome forwards to have ever graced the Premier League.
Few defenders relished the task of marking such a powerful and intelligent forward.
— Adam (@CFCMethod) September 3, 2020
異常な勝負強さ
「ビッグマッチに強い」ドログバはこのように言うかたが非常に多くいます。特に語られているのは、11-12シーズンのチャンピオンズリーグ決勝戦は。
チェルシーは当時最強と言われていたバイエルン相手に善戦するも、83分にトーマス・ミュラーのゴールで先制されてしまいます。重く絶望的な1点で敗戦濃厚と思われていました。
でも、英雄ドログバは、88分にフアン・マタのコーナーキックから強烈なヘディングでゴール右隅に突き刺し、PK戦へと持ち込みチェルシーを優勝に導きました。
貴重かつ素晴らしいゴールで、その後のゴールパフォーマンスも多くのサッカーファンの目に焼き付かれています。
のちに、ランパードはこう残しています。
ランパードはドログバについて「ディディエはアメイジングな存在だった。ビッグゲームの前のドレッシングルームでは、違うディディエのように感じるんだ。彼は獣のようだった。覚悟、強さが彼の目にはあって、常に何かを生み出してくれた」と振り返っている。
ディディエ・ドログバのプロフィール
名前 | ディディエ・ドログバ (Didier Drogba) |
代表 | コートジボワール |
生年月日 | 1978年3月11日 |
身長 | 189cm |
ポジション | FW |
利き足 | 右 |
裕福な家庭に生まれたドログバは、エリート教育のために5歳でコートジボワールを離れフランスへと渡りました。
サッカー選手だった叔父の影響により、学問だけではなくサッカーでも頭角を現し、19歳でフランスのル・マンとプロ契約をします。
しかし当時は、今よりも人種差別が根強く、サッカー文化に嫌気を差していたこともあったそうです...。
ル・マン、ギャンガン、マルセイユでキャリアを積み、2004年に当時クラブ最高額の3,600万ユーロでチェルシーへと移籍しました。
ちなみに、モウリーニョがドログバのことを高く評価したそうです(モウリーニョの目はやっぱり凄いんですね...)
内戦を止めた男
コートジボワールは、2002年から政府と反政府組織の争いにより南北が分断。内戦が長期化しコートジボワールはカオス状態で、唯一の国民の希望がワールドカップ出場でした。
そしてドログバ率いるコートジボワールは、2005年10月にワールドカップ本選出場権を獲得。
出場を決めたロッカールームでドログバはカメラに向かって、
「私たちは、ひざまずいて、心からお願いします。許しあってください。アフリカ大陸にある我々の豊かな国が、内戦状態に陥り続けていてはいけません。お願いです。武器を置いてください。選挙を行いましょう。そうすれば、すべてが良い方向に進みます」
このように訴え、ワールドカップ翌年に内戦が終結しました。
コートジボワールにとってワールドカップ出場は全国民の悲願であり、決定的な仕事をしたドログバの言葉は、多くの人に多大なる影響を与えたと思います。
2020年、UEFA会長賞を受賞
2020年ジュネーブでUEFA会長賞を受賞、ベッケンバウアーやクライフと肩を並べました。UEFA会長賞は現役時代の公益やプロフェッショナルとしての姿勢、かつ模範となる人に送られる賞です。
ドログバの現役時代の活躍は言うまでもないですが、引退後に発展途上国の子どもたちを支援するなどの姿勢が評価され、2020年度のUEFA会長賞に選ばれたとのこと。
過去のクラブチーム
1998-2002 | ル・マン |
2002-2003 | ギャンガン |
2003-2004 | マルセイユ |
2004-2012 | チェルシー |
2012 | 上海申花 |
2013-2014 | ガラタサライ |
2014-2015 | チェルシー |
2015-2016 | モントリオール・インパクト |
2017-2018 | フェニックス・ライジング |