レアル・マドリードやバルセロナなどで活躍した元ポルトガル代表ルイス・フィーゴについてまとめました。
2000年にバルセロナでの活躍が認められバロンドール受賞したものの、同じ年にライバルのレアル・マドリードへと移籍。当時、大きな話題になりました。
本記事では、
- 全盛期のプレースタイル
- 現在
- 話のネタになる秘話
などを紹介していますので、フィーゴについて調べている方はぜひご覧ください。
全盛期は凄かった?フィーゴのプレースタイル

フィーゴのポジションは、戦術によってトップ下や左ウイングなどでもプレーしていましたが、主に右ウイングや右サイドハーフがメインでした。
代名詞は「ドリブル」
やはりフィーゴといえばドリブルです。
全盛期だった90年代後半から2000年代前半の時は、誰も止めることができず、多くのディフェンダーがフィーゴに抜き去られていました。
ロッベンなどスピードでぶち切る直線的なドリブルではなく、シザースなど緩急と相手の重心をズラしながら、テクニックとタイミングで抜いていくがフィーゴの特徴でした。
レアル・マドリードでもバルセロナでも抜群のドリブル力を活かして、ボールを前に運びチームに推進力を与えていました。
また、メッシのような細かなボールタッチも大きな特徴で、相手が出してきた足にあわせて、ちょこんとボールをズラして一気に相手を抜く技術もありました。
フィーゴは稀代のドリブラーでしたが、スピードではなくテクニックで抜き去る選手でした。
ドリブルだけではない、アシストセンスも優れていた
ネットでフィーゴと調べると、ドリブルと詳細は後述しますが「裏切り者」というワードが目立つでしょう。
しかし、フィーゴはドリブルだけではなく数字もしっかり残しています。
それがアシストです。
フィーゴは、ラ・リーガで336試合に出場し66ゴール89アシストという数字を残しています。
あまり知られていませんが、メッシやクリスティアーノ・ロナウドが現れるまで、ラ・リーガの通算アシスト記録歴代1位でした。
ちなみに、レアル・マドリードでの公式戦記録は、245試合で56ゴール93アシスト。
ドリブルだけではなくしっかりと数字を残していたのが、ルイス・フィーゴなのです。なぜ、アシストが多いかというと、ドリブルからのクロスを得意としていたからです。
ドリブラーの印象が強いかもしれませんが、中には「天性のクロッサー」と呼ぶ人たちもいます(大半の人はドリブルのイメージが強いです笑)
怪我が少なかった
フィーゴはドリブルでバチバチの対人線をしていましたが、非常に怪我が少ない選手でした。
リーガに在籍していた95-96シーズンから2004-2005シーズンの間で、リーグ戦30試合未満の出場は01-02シーズン(28試合)のみ。その他のシーズンは30試合以上に出場しています。
フィーゴは、鉄人といわれたランパードにも引けを取らない鉄人です。
フィーゴのプロフィール
Autumn is here 🍂 pic.twitter.com/aDM5cQuUUq
— Luís Figo (@LuisFigo) September 21, 2020
名前 | ルイス・フィーゴ (Luís Figo) |
代表 | ポルトガル |
生年月日 | 1972年11月4日 |
身長 | 180cm |
ポジション | WG |
利き足 | 右 |
フィーゴはポルトガルのリスボンで生まれ、頭がよく成績も優秀で医者を志望するほどだったそうです。
サッカーとの出会いはストリートで、11歳のときにポルトガルのスポルディング・リスボンの下部組織に入団。
17歳だった1989年にトップチームデビューを飾り、1995年にはポルトガル最優秀選手に輝きました。
その後、225万ポンドでバルセロナへと移籍(現在のユーロ換算で約250ユーロ)
バルセロナ移籍後もその才能を遺憾なく発揮し、元ブラジル代表リバウド、元オランダ代表クライファートとともに攻撃を支え、リーグ優勝などに貢献。
そして、2000年にバロンドールを受賞しています。
レアル・マドリードへ「禁断の移籍」
バルセロナで順風満帆だと思われていたフィーゴですが、2000年7月に宿敵レアル・マドリードへ6000万ユーロで電撃移籍します。
この禁断の移籍にバルセロナサポーターは大激怒し、フィーゴが経営していたバルセロナの寿司屋を破壊。
2000年10月に行われた移籍後初のカンプ・ノウでのクラシコでは、大ブーイング。
それだけではなく、
- 守銭奴と捉えたサポーターにフィーゴの顔をプリントした偽札が投げ込まれる
- コーナーキック時には、ビンなどゴミや豚の頭まで投げられる
試合は大荒れに荒れて、約10分間も試合が中断されました。
バルセロナに拒否されたフレンドリーマッチ
禁断の移籍は、別の形でも影響が出ています。
2015年、ユベントスとバルセロナのチャンピオンズリーグ決勝戦前日に、両チームの元所属選手が世界選抜と試合をするフレンドリーマッチが行われました。
UEFAはバルセロナのレジェンドとしてフィーゴを招待しましたが、バルセロナが拒否した経緯もあります。
ポルトガル代表では黄金世代の1人
フィーゴは、
- ルイ・コスタ
- パウロ・ソウザ
- フェルナンド・コウト
らとポルトガルの黄金世代の1人として期待されていました。
その結果、2度のワールドカップと3度のEUROに出場しています。最高成績は地元開催だったEURO2004の準優勝。19歳だったクリスティアーノ・ロナウドとともに、サイドを支えました。
いま振り返ると右にフィーゴ、左にクリスティアーノ・ロナウドって極悪ですね。もし、クリスティアーノ・ロナウドがもう少し早く生まれていたら、ポルトガルの攻撃陣は凄まじかったでしょう。
現在
2009年にインテルで引退後、そのままインテルの幹部で仕事をしていました。
その後は慈善活動を行いつつ、2015年にFIFA会長選に立候補表明するも、充分なチャンスが得られず立候補を取り下げています。
2020年にはEURO2020の公式アンバサダーに就任しており、2月29日に引退後初来日もしています。いまでも、サッカーに関わる仕事をしているそうです。
過去のクラブチーム
1989-1995 | スポルディング・リスボン |
1995-2000 | バルセロナ |
2000-2005 | レアル・マドリード |
2005-2009 | インテル |
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