名前 | ロメル・ルカク(Romelu Lukaku) |
代表 | ベルギー |
生年月日 | 1993年5月13日 |
身長 | 190cm |
体重 | 93kg |
ポジション | FW |
利き足 | 左 |
チェルシーでプレーするベルギー代表FWロメル・ルカクのプレースタイル・経歴をまとめた。重戦車と呼ばれるパワー型のFWで、若いころはコートジボワールの英雄であるディディエ・ドログバ2世だと評価された。そんなルカクのストーリーをみていこう。
ロメル・ルカクのプロフィール
ルカクは1993年5月13日にベルギーのアントワープで、長男として生まれた。1年年下に同じくプロフットボーラーである弟のジョルダン・ルカクがいる。幼少期から共にサッカーを志した。
家庭環境は決して裕福とはいえない。父は元サッカー選手であったがベルギーの最下位リーグのFCブームでプレーしており、お金に苦慮していた。
本人も「貧困に苦しんだ」と2018年6月のインタビュー「ロメル・ルカクの言いたいことがある」で語っている。その中には、牛乳に水を混ぜていた、お湯が出ないお風呂、電気が2~3週間止まっていた、想像を絶する過酷な環境でルカクは育った。
幸いなことにルカク少年は、家庭が壊れていて深刻な問題を抱えていることを早くから理解した。その結果、ルカクは家族を救うために、サッカーの努力を繰り返した。
キャリア①5歳から父のチームでサッカーをプレーする
家庭崩壊していたなかで唯一の救いが、父親がサッカー選手だったことだろう。ルカクは5歳で地元のRupelBoomに加わった。4シーズンを過ごした後、アカデミーを設立したベルギーのプロリーグチーム・リールセSKにスカウトされる。
2004年から2006年の間で68試合に出場して121ゴールをあげる。2006年にリールセが降格したことを機に、アンデルレヒトが13人のユースプレイヤーを手に入れた。そのなかの1人に、ロメル・ルカクが含まれていた。
キャリア②16歳でプロデビューしたアンデルレヒト
アンデルレヒトでプレーをはじめたルカクは、ユースプレイヤーとして93試合で131ゴールを奪う。その高いポテンシャルが評価されて、09-10シーズンにトップチームデビューを果たす。
このシーズンはルカクを世界に告知する重要なシーズンになった。25試合で15ゴールのチームトップスコアラーになり、リーグ得点王を獲得。16歳10か月での得点王はベルギーリーグ最年少の記録を打ち立てた。
その後、2011年夏の移籍マーケットでプレミアリーグの強豪であるチェルシーに加入する。ついに家庭崩壊していた少年が、黄金を手にした瞬間だった。
キャリア③チェルシーからエバートンへ
黄金の道が照らされていると思ったチェルシー時代だったが、充分なプレー時間は与えられなかった。
それもそのはずだ。当時のチェルシーには、クラブの象徴であるドログバがポジションキープをしていたからだ。さらに、フェルナンド・トーレスの加入などがあり、ルカクのポジションは完全に無くなっていた。
幸いにもチェルシーは、12-13にWBA、13-14にエバートンへローン移籍を許可してくれた。ローン中もしっかり結果を残したルカクは、2014年に当時のクラブレコードの2,800万ポンドでエバートンへ完全移籍をすることになった。
キャリア④エバートンで地位を確立
エバートンはルカクにとって最高の場所になった。柵から解き放たれたかのように、ゴールを量産する。2016-17シーズンには25ゴールやプレミアリーグ年間ベストイレブンにも選出された。
エバートンで積み上げたゴール数は129試合で60ゴール。この数字は、クラブの歴代最多得点記録タイになる。しかも、わずか3年半で達成したのだ。
エバートンがルカクに自由を与えたことは、彼にとって最高の出来事の1つだったに違いない。その後、エバートンの経験がさらにルカクをステップアップさせていく。
キャリア⑤マンチェスター・U
2017年7月10日にマンチェスター・Uに入団したルカク。移籍金は公式で明らかにされていないが、7500万ポンドに1500万ポンドがオプションで付けられたといわれている。
ルカクは早々に結果を残した。クラブのプレミアリーグデビューで2得点を挙げたマンチェスターユナイテッドの4人目の選手となったのだ。
同シーズンには元クラブであるエバートンからもゴール挙げている。エバートンの英雄だったルカクがライバルチームに移籍したことで、ゲーム全体でブーイングされていた。ゴール後ルカクはエバートンファンの元に走り、耳を傾けるパフォーマンスをみせた。
デビュー当初は順風満帆なマンチェスター・Uライフだと思われたが、格上相手には結果を残せなかったのだ。日本のマンチェスター・Uファンからは「雑魚専」とまで揶揄されてしまった。
結果が残せないルカクは、マンチェスター・Uで2シーズン過ごしたのちにインテルへと移籍することになった。
キャリア⑥インテルから2度目のチェルシー
2019年8月にクラブ記録になる8000万ユーロでインテルへと移籍した。この移籍はルカクにとってプラスとなった。ラウタロ・マルティネスと強固なパートナーシップを結んで、デビューシーズンから結果を残した。
マンチェスター・Uでのプレーが嘘のようだった。水を得たルカクはセリエAで23ゴールを記録し、さらにELでは9試合連続ゴールで大会記録を更新している。
デビューシーズンとなった19-20シーズンはすべての大会で34ゴールを記録し、1997-1998シーズンのロナウドの記録に匹敵する活躍をみせた。
翌シーズンの20-21シーズンもルカクの勢いは止まらなかった。セリエAでは24ゴール11アシストを残し、得点ランキング2位にもなっている。しかし、黄金に染められたインテルの時間はわずか2シーズンのみになる。
21-22シーズンから10年ぶりにチェルシーへと復帰した。
キャリア⑦チェルシー移籍は失敗
エバートンとマンチェスター・Uで慣れ親しんだプレミアリーグに戻ってきたルカクだが、チェルシーでの初シーズンは暗雲に満ちている。
2022年1月20日時点でリーグ戦15試合で5ゴール0アシストと期待に応えられず、トゥヘル監督との衝突などが報じられている。しまいには「インテル復帰説」も浮上してしまっている。
とはいえ、まだ時間は残されている。自身2度目のチェルシーでインテルのような輝かしい日々を送られるか注視していきたい。
ロメル・ルカクのプレースタイル
前線でボールキープができるフィジカルの強さ
身長190cm体重93kg、日本人からすれば常人離れしたい肉体をもつルカク。その屈強な体を生かし、相手DFに負けないフィジカルがある。
前線でボール収めることができるため、2列目の選手の侵入を待つことができる。インテル時代もそのようなプレーをしばしばみせて、気が利くラウタロとのホットラインを形成していた。
ゴールの近くでボールホルダーになれるルカクは、相手にとって脅威以外の何物でもないだろう。
屈強な体とスピードを生かしたゴリゴリドリブル
厄介なことにルカクは、屈強なフィジカルに加えてスピードも兼ね備えている。2017年英紙「デイリー」が発表したトップスピードランキンでは、34.6kmを記録し堂々の1位を獲得しているほどだ。
基本的にルカクは中央のプレーを好むが、マンチェスター・ユナイテッドでは右サイドでのプレーが散見された。ここから得られる情報は、サイドに流れてもルカクは活きるということだ。
昨今のサッカーはFWが細かくポジションを変える。時には中央、時にはサイド、多様なスキルが求められている。その点、中央でもサイドでもプレーできるルカクは器用なプレイヤーだといえるだろう。
ゴールだけではない!味方を生かすプレー
ルカクはゴールだけではなく、しっかりと味方を生かすプレーをする。FWでありながらルカクはエゴイストではないのだ。
例えば、ロシアW杯の日本vsベルギー戦のベルギー3点目。ゴール前でサイドからルカクにパスが送られたが、そこでルカクは自身で打たず背後の選手へスルーした。
「自分がゴール決めたい」欲が強い選手は、無理な体勢でもシュートを打っただろう。でも、ルカクはチームプレーを選べる選手だ。時にはエゴであることが必要だが、最終局面で自分を抑えられるルカクのメンタリティは素晴らしいといえる。
味方を活かすプレーはインテル時代にもみられていた。パートナーシップを結んでいたラウタロ・マルティネスとのコンビネーションは絶妙だったし、20-21シーズンはリーグ11アシストと数字も残している。