名前 | エンゴロ・カンテ(N'Golo Kanté) |
代表 | フランス |
生年月日 | 1991年3月29日 |
身長 | 169cm |
体重 | 69kg |
ポジション | MF |
利き足 | 右 |
チェルシーでプレーするフランス代表MFエンゴロ・カンテのプレースタイル・経歴などをまとめました。カンテは謙虚な性格で血走っているプレイヤーが多いサッカー業界では珍しいタイプ。しかし実力者。奇跡のレスター優勝の立役者でもあるカンテをみていこう。
カンテのプロフィール
Back on track with @ChelseaFC for a first victory. Happy to be back with my mates. pic.twitter.com/EtJvE0dcy0
— N'Golo Kanté (@nglkante) 2018年8月11日
エンゴロ・カンテは、1991年3月29日にフランスのパリで生まれる。4人兄妹の1番最初の子どもである。カンテの両親は1980年にマリからフランスに移住した。父親はカンテが幼いときに亡くなっている。幼い頃から長男として責任感が彼を襲ってしまったのだ。
そして、彼は早い段階で一生懸命働くことの価値を体験している。育ったリュエイ=マルメゾンでゴミ拾いをして生計を立てたのだ。決して、裕福な家庭とはいえない環境でカンテの人間性が固まっていった。
仕事をしている間に見つけのがサッカーだった。1998年フランスワールドカップを目の当たりにしたカンテは、サッカーのキャリアを刻んでいく。
キャリア①シュレンヌ時代からプロ契約まで
カンテはパリの西部郊外にあるシュレンヌでキャリアをスタートさせる。いまのカンテをみると光り輝いたサッカーロードだと思われるかもしれないが、そうではない。カンテは身長が低く小柄というハンデを背負っていた。そのため、少年時代の指導者からのレーダーにカンテは見向きもされなかった。
しかし、縦横無尽にピッチを駆け抜けられるスタミナと努力にカンテの評価は変わっていく。身長の成長は遅かったがチームを助ける存在として重宝された。
9年間過ごしたシュレンヌを離れ、2010年にブローニュへと移る。ここでもカンテは遺憾なくカンテを発揮する。ボックストゥボックスで誰よりも走るキャラクターだった。当時のコーチたちにも認められる存在へとステップアップし、プロ契約を掴み取る。
そして、カーンで2シーズン過ごしたのち、2015年にレスター・シティへと移った。
キャリア②奇跡のレスター
奇跡しか表現できないだろう。カンテが移籍したレスターは、15-16シーズンにクラブ史上初となるプレミアリーグ優勝を飾る。多くのメンバーがいるなかで、もっとも評価されたのがカンテだった。
一貫したタックルとインターセプトは、PFA年間ベストイレブンにも選出された。そして、カンテに魅了されたのは観戦者だけではない。チェルシーも心を奪われ2016年に彼を獲得した。
早くに父親を失いゴミ拾いをしていた小さい少年が、ビッグクラブの栄冠を勝ち取ったのだ。
キャリア③チェルシー時代
チェルシーの16-17シーズンもカンテはカンテだった。アントニオ・コンテの信頼を勝ち取りレスターと同じような役割を担った。さらに成長したカンテにフランスのレジェンドであるデサイーは賛辞を送った。
地球上の71%は水で覆われている。残りの29%はエンゴロ・カンテがカバーしている
獅子奮迅の活躍をするカンテはチームの潤滑油として攻守に貢献する。そして、2シーズン連続でプレミアリーグのトロフィーを別チームで獲得した。しかし、18-19シーズンからカンテは狂いだしていく。新たに招かれたサッリの影響によってだ。
カンテの持ち味はボックストゥボックスでピッチを自由に走り続けることだが、サッリはそれを許さなかった。4-3-3で攻撃的インサイドハーフとしての役割をカンテに与えてしまった。それにより持ち味のタックルとインターセプトは影を潜めた。
下記はインターセプトの数字だ。
- 16-17:82回
- 17-18:85回
- 18-19:44回
サッリになってからインターセプトは約50%も減少している。それでもチームはアザールの活躍などで3位でフィニッシュしたが、カンテにとって辛いシーズンだったのは間違いないだろう。
その後もインターセプト数は、16-17シーズンに及ばないが20-21シーズンからふたたび息を吹き返してきている。これからも中盤の番人であるカンテを見続けていきたいところだ。
キャリア④フランス代表
カンテが7歳だったころ、フランスが1998年フランスW杯を優勝した。優勝を目の当たりにしたことで、カンテはサッカーのキャリアをスタートさせている。彼も同じくポール・ポグバらと2018年フランスW杯でトロフィーを勝ち取った。
上手く出来すぎているとしかいえない。フランスがフランスで優勝して、自分もフランスで母国を優勝させた立役者になったのだ。決勝は体調不良やモドリッチのマッチアップに苦戦して途中交代になったが、予選から決勝トーナメントは持ち前の守備力を披露していた。
カンテのプレースタイル
Plenty of #determination @ChelseaFC +3️⃣ pts pic.twitter.com/E1I6MgjX3e
— N'Golo Kanté (@nglkante) January 13, 2019
フィールドをフルで駆け巡る豊富なスタミナ
カンテの大きな特徴は、散々書いてきたが無尽蔵のスタミナである。2018年W杯のデータでは、総走行距離68.5kmと4番目に多い数字だ。
なお上位3名はクロアチア勢になっている。クロアチアは決勝トーナメントの試合すべて延長戦で、1試合分の時間を使っている。4位とはいえ延長を戦っていないカンテが、次点でくることは相当カンテは走っていたのだ。
この豊富なスタミナがボックストゥボックスに欠かせないステータスになる。ピッチを広く深く走れるからこそカンテは、いまもなお重宝されている理由になるだろう。
ボール奪取力の高さ
カンテのボール奪取力の高さが伺えるデータが2018年W杯あった。相手からのボールを奪い、非ポゼッションからポゼッションに回復させた数値「ボールリカバリー」が、カンテは61回を記録している。2位のイングランド代表マグワイアと11も差をつける驚異的なデータだ。
それだけボールを奪っているし、インターセプトをしていることがわかる数字だ。クラブでは持ち前のインターセプト数を落としてしまった時期もあったが、21-22シーズンから復活してきている。まだまだ中盤の潰し屋として活躍をみたいところだ。