アトレティコ・マドリード、リバプール、チェルシー、数々のビッグクラブを渡り歩き2019年に現役を引退したフェルナンド・トーレス。
スペイン語のエル・ニーニョ(神の子)と呼ばれており、サガン鳥栖にも在籍していたことから、日本でも多くの人気があった選手です。
本記事では、
- フェルナンド・トーレスの現役時代ってどうだったの?
- 全盛期はどんなプレースタイルだった?
- どんなエピソードがあったの?
など、トーレスのプレーだったり、キャリア、他選手たちの絡みやエピソードを紹介しているので、トーレスついて調べている方は参考にしてください。
全盛期ってすごかった?フェルナンド・トーレスのプレースタイル
理想の「9番」
フェルナンド・トーレスは、スピード・高さ・テクニック・シュートセンス・嗅覚、ストライカーとして必要な能力を高い基準で備わっていた選手です。
トーレスの全盛期はリバプールで過ごした3シーズン(07~10)と言われており、102試合で65ゴールをマークしています。
圧巻だったのは、リバプールに初年度となる07-08です。プレミアリーグは適応が難しいリーグと言われており、数々の名選手たちが初年度苦戦を強いられることで有名です。
しかし、トーレスはリーグ33試合で24ゴールあげ、当時のプレミアリーグ初挑戦外国籍選手では最多記録を樹立。圧巻のパフォーマンスでリバプールファンの心を鷲掴みにしました。
当時のリバプールは強かったですが今のようなチームではなく、ギリギリトップ4に喰い込むチームだったため、トーレスは大きな存在でした。
難しい角度からでもゴールを上げるたり、一瞬のスピードで相手DFを置き去りにしたり、空中戦でも問題ないゴールを挙げたり、エル・ニーニョの名に恥じない輝きを見せていました。
リバプールの象徴・ジェラードと相性が良かった
トーレスは印象に残っている選手にスティーブン・ジェラードを挙げています。
それもそのはずで、ジェラードは何度もトーレスのチャンスを作り上げており、当時はジェラードとトーレスさえいれば何とかなるとまで言われていました。
ジェラード自身もキャリア最高の相棒にトーレスを挙げています。それほど、2人の波長は合っていました。
「オーウェンとトーレスは、セントラルMFとしての私を最大限に活かすような選手だったんだ」
天才と言われていた2人が、同じ時代に同じチームメイトだったことは、両者にとって幸運だったと言えるでしょう。
フェルナンド・トーレスのプロフィール
Many stories and memories will stay within the walls of #Melwood YNWA@LFC #FarewellMelwood pic.twitter.com/mxcNUN7NLg
— Fernando Torres (@Torres) November 10, 2020
名前 | フェルナンド・トーレス (Fernando Torres) |
代表 | スペイン |
生年月日 | 1984年3月20日 |
身長 | 186cm |
ポジション | FW |
利き足 | 右 |
祖父がアトレティコ・マドリードのサポーターだったこともあり、同チームに強い愛を持っていたトーレスは5歳のころにパルケ84に入団。
その後、11歳のときにアトレティコ・マドリードの下部組織に入団し、15歳のときにプロ契約を結び、キャリアをスタートさせました。
エル・ニーニョと呼ばれ始めたアトレティコ・マドリード時代
アトレティコ・マドリードでのトーレスはまさに象徴。低迷していたチームにも関わらず、5シーズン連続で10ゴール以上を挙げ、19歳のときにはキャプテンを任されました。
トーレスが在籍していたアトレティコ・マドリードは、今ほどの強豪ではなかったため、トーレスの存在は非常に重要なものでした。
ちなみに、トーレスが在籍していた02-03~06-07までのマドリード・ダービーでは、一度も勝つことができませんでした。それほど、アトレティコとレアル・マドリードには差があったのです。
光り輝いていたリバプール時代
リバプール時代のトーレスは、前述の通り言い表すことができないほどの活躍っぷりでした。
アーセナルファンの筆者はリバプールのフロントを呪ってしまうほどで、キレッキレですしゴールは決めるしイケメン。まさしくエル・ニーニョ(神の子)の名に相応しい活躍っぷりでした。
しかし、ブラジルのロナウドのように輝いた時間は短いものでした。
ハムストリングの怪我がトーレスのキャリアを壊した
リバプール初年度なった07-08シーズンは、目に余るほどの活躍っぷりでした。しかし、トーレスは鼠蹊部に問題を抱えており、2008年2月にハムストリングを負傷し徐々に輝きが失われていきました。
08-09シーズンでは8月・10月・11月プレーができず、出場は24試合に留まり14ゴールでリーグを終えます。
このシーズン、リバプールはプレミアリーグ移行後初の優勝に届きそうでしたが、マンチェスタ・ユナイテッドに届かず2位フィニッシュとなり「トーレスが万全の状態だったら...」と嘆くファンが多くいました。
翌09-10シーズンもトーレスは怪我に泣かされ、リーグ戦22試合のみの出場。怪我がなければ間違いなく得点王だったことでしょう。
「師匠」と呼ばれてしまったチェルシー時代
10-11シーズン、怪我の影響によりプレーに精細を欠いていたトーレスは、当時のプレミアリーグ最高額となる5000万ポンド(推定)でチェルシーへ移籍。
突然のライベルクラブへの移籍に対し、リバプールファンからは「裏切り者」と揶揄されてしまいました。
環境が変わったことでもう一度輝く姿が見られると思われたが、デビューから903分間もゴールから見放されクラブワーストを記録。
しかも、10-11シーズンは14試合で1ゴールしか挙げられず、チャンスをことごとく外すことから「師匠」と呼ばれるようになりました。
トーレスは4シーズンをチェルシーで過ごしましたが、5000万ポンドの価値を証明することができず、2014年にACミランへとレンタル移籍。
ACミランからのトーレス
ACミランでも輝きを取り戻すことができず、15-16シーズンから古巣のアトレティコ・マドリードに復帰しチームを牽引。
2017年3月のデポルティーボ戦では、空中で相手選手と激しく交錯し意識を失ってしまう大事故が発生するも、迅速な対応により大事には至りませんでした。
2018年からはサガン鳥栖に移籍し、大々的に日本メディアに取り上げられたことは記憶に新しいです。
過去のクラブチーム
2001-2007 | アトレティコ・マドリード |
2007-2011 | リバプール |
2011-2015 | チェルシー |
2014-2015 | ACミラン(レンタル) |
2015-2016 | ACミラン |
2015-2016 | アトレティコ・マドリード(レンタル) |
2016-2018 | アトレティコ・マドリード |
2018-2019 | サガン鳥栖 |