ユベントスで活躍した元イタリア代表FWデルピエロについてまとめました。
いまでは懐かしいファンタジスタと呼ばれていた選手で、バッジョとともに最後のファンタジスタと呼び声が高い選手です。これぞ、10番の選手!というエレガントなプレーでファンを魅了してくれました。
現役は長らくイタリアでプレーし、その後オーストラリア・インドと渡って2014年に引退しました。
本記事では、デルピエロのプレースタイルやヒストリーなどをまとめています。同選手について調べている方は、ぜひ一読ください。
デルピエロのプレースタイル
イタリア歴代最高のセカンドストライカー
ユベントスでは705試合に出場して290ゴールを記録しています。基本的には最前線よりも一歩後ろでプレーする選手で、ユベントス時代には、トレセゲ、フィリポ・インザーギ、イブラヒモビッチらと共演していました。
そのなかで、290ゴールという数字は圧倒的でユベントス歴代最多得点保持者にまで駆け上りました。
ゴール前では落ち着いてシュートを決めて、フリーキックも蹴れる繊細さも持ち合わせていました。
ドリブルでは、巧みなキックフェイントや相手のタイミングをズラす上体フェイント、多彩なスキルを所持していてシュートスペースを作るのが天才的でした。
また、チャンスメイク力にも長けていて、99-00シーズンはセリエAリーグ最多アシストを記録しました。シュート・ドリブル・パス、ファンタジスタらしいセカンドトップでした。
左45度「デル・ピエロ・ソーン」
デル・ピエロの代名詞といったら、左45度の「デル・ピエロ・ゾーン」です。その角度から数多くのゴールやチャンスを生み出し続けました。
個人的に震えたゴールは2006年ドイツW杯準決勝のドイツ戦、延長120分に決めたイタリア2点目のゴールです。
イタリアお得意のカウンターからの、左45度付近からのシュート。もうね、堪らなかったですね。これぞイタリア!これぞデル・ピエロ!と言ったゴールです。とても美しいゴールなので、ここまで読んだ方はぜひYouTubeで検索してみてください。
そもそも、当時のイタリアはマジで最強。ブッフォン、ピルロ、ガットゥーゾ、カンナバーロ、トッティとかヤバイでしょう。イケメン枠でトーニとジラルディーノ、マジで当時のイタリアは夢がありました。
そこにも注目しながら、デル・ピエロのゴールをご覧になってみてください。
デル・ピエロのプロフィール
名前 | アレッサンドロ・デル・ピエロ (Alessandro Del Piero) |
代表 | イタリア |
生年月日 | 1974年11月9日 |
身長 | 173cm |
体重 | 73kg |
ポジション | FW |
利き足 | 右 |
親日家と噂されている
デル・ピエロは、親日家と噂されています。2012年東日本大震災復興支援Jリーグスペシャルマッチに参加したり、2004年にはファミ通の表紙を飾ったり、テレビ出演したり、日本のメディアに数多く出演しています。
また、海外サッカー選手では珍しい日本語の公式ブログ(http://www.alessandrodelpiero.jp/)も運営しています。
現在
2014年にインドのデリー・ディナモスFCに所属した後に現役引退。
その後は実業家として活動しており、ロサンゼルスに本拠地を置く「LA10FC」のオーナーだったり、レストラン経営をしたり、サッカー解説者を務めたり、幅広くビジネスをしています。
2020年5月には腎臓結石がニュースになるなど、これからも話題に挙がってくることでしょう。
過去のクラブチーム
1991-1993 | カルチョ・パドヴァ |
1993-2012 | ユベントス |
2012-2014 | シドニー・FC |
2014 | デリー・ディナモスFC |
まとめ
デル・ピエロは、ユベントスの歴代最多出場・得点の記録を持つ偉大な選手です。
親日家ということもあり、いまでもレジェンドとしてゲームに登場したりするなど日本でも大人気です。成功・栄光を手にした選手ということを覚えておいてください。
もし、お時間がある人は、YouTubeなど動画サイトでデル・ピエロのプレー集を視聴してみてください。きっと、惚れるでしょう!
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