ロナウジーニョのプレースタイル

ロナウジーニョってどんな選手だった?全盛期のプレースタイルや現在を紹介

バルセロナなどで活躍した元ブラジル代表ロナウジーニョの全盛期のプレースタイルや現在をまとめました。

バルセロナ時代の2005年にはバロンドールに輝き「世界最高のプレイヤー」と讃えられていた選手です。

本記事では、ロナウジーニョについてもっと詳しくなれる内容になっていますので、ロナウジーニョを調べている方はぜひ最後までご覧ください。

全盛期は凄かった?ロナウジーニョのプレースタイル

ロナウジーニョのポジション

ロナウジーニョが全盛期のときにプレーしていたエリアは、主に左ウイングからトップ下です。

バルセロナ時代は、左からロナウジーニョ、エトー、メッシの3人で組まれることが多く、攻撃陣を牽引していました。

ブラジル代表では、ウイングよりもやや中央でプレーしており、中でも外でも攻撃的ポジションならどこでもプレー可能でした。

トリックプレーでファンを魅了

ロナウジーニョは、2000年に入ってから誰よりも観ていて面白いプレイヤーでした。いや、今でもロナウジーニョよりもサッカーが観たくなるプレイヤーは現れていません。

そのエンターテイメント性は、メッシやクリスティアーノ・ロナウドよりも上だと言われています。

なぜなら、予想外なプレーを魅せてくれるからです。

  • 意表を突くノールックパス
  • トリッキーなドリブル・シュート

「え!?そこにパスすんの?」「え!?ドリブルの発想力すごすぎ!」「ザ・ワールドじゃん!?」など、ロナウジーニョは観客を驚かせるプレーができる才能があったのです。

しかも、数字もしっかり残すというバケモノぶりで、多くのサッカーファンを魅了し続けました。

後に説明しますが、クリスティアーノ・ロナウドやメッシのような模範的なプロフットボーラーではなかったかもしれません。

しかし、ロナウジーニョには誰にも真似できない「観客を魅了するプレー」というの大きな特徴がありました。

そのようなトリッキープレーにより、ロナウジーニョは「魔法使い」としばしば言われていました。

2005年3月8日、チェルシー戦で時を止めたゴール

ロナウジーニョは数多くのゴールを決めてきました。そのなかでも特にセンセーショナルなゴールが、2005年3月8日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16のチェルシーとの2ndです。

まるで時が止まってしまったかのような、魔法のトーキックでゴールを決めたのです。

ネットでは、

  • プレイヤーも観客も時が一瞬止まっていた
  • ザ・ワールドすぎる
  • 何が起こったのか一瞬わからなくなった

惜しくもバルセロナは4-2で破れてしまいましたが、ロナウジーニョのゴールは今もなお語り継がれています。

ロナウジーニョのプロフィール

名前ロナウジーニョ・ガウチョ
(Ronaldinho Gaúcho)
代表ブラジル
生年月日1980年3月21日
身長182cm
ポジションMF、FW
利き足

ロナウジーニョは、1998年にグレミオでキャリアをスタートし、2001年に500万ユーロでパリSGへと移籍。

パリSGや2002年日韓ワールドカップで名をあげ、2003年に3000万ユーロでバルセロナに加入しました。

当時のバルセロナは、暗黒時代でロナウジーニョの加入は多くの人たちの希望でした。ロナウジーニョはその期待に答え、2004-2005シーズンにリーグ優勝へと導きます。その年、ロナウジーニョはバロンドールを受賞。

翌2005-2006シーズンもリーグ優勝の立役者として、2位のランパードと3倍以上の差をつけてFIFA最優秀選手賞を受賞しています。

数々の栄光を手にしたロナウジーニョですが、特徴的なルックスから、ブラジルで行われた「抱かれたくないランキング」で堂々の1位に輝くという不名誉なトロフィーも掴み取っています。

そのため、ルックス重視のレアル・マドリードは、ロナウジーニョの獲得を見送ったという話もあります(ディ・マリアもルックスの関係で放出したという噂もあります)

ちなみに、兄のロベルトもサッカー選手であり、1999年にはアシスという登録名でコンサドーレ札幌でプレーしていました。

サンチャゴ・ベルナベウでスタンディングオベーション

ロナウジーニョは、2005年11月レアル・マドリードの本拠地であるサンチャゴ・ベルナベウでのクラシコで相手サポーターからスタンディングオベーションを浴びました。

2得点を挙げる活躍と圧倒的パフォーマンスを披露したからです。若かりし頃のラモスがけちょんけちょんにやられていたのが懐かしいです。

バルセロナを去ることが決まっていたイニエスタが、宿敵レアル・マドリードの本拠地で拍手を送られたのは記憶に新しいですが、ロナウジーニョも敵地で惜しみない拍手が送られています。

代表

ブラジル代表では各年代で招集され、2002年の日韓ワールドカップではロナウドとリバウドとともに攻撃を牽引。当時は、「この3人でゴールを挙げられる」なんて言われ、見事優勝を飾りました。

連覇が期待された2006年ドイツワールドカップにも招集されましたが、終始低調なパフォーマンスで準々決勝のフランスに敗北。

2004年にバロンドール受賞を記念して建てられたロナウジーニョの銅像が、過激なファンに破壊されてしまいました。

ただ、ロナウジーニョは敗戦に反省の色がなく、バルセロナの自宅にアドリアーノを招き、早朝まで遊び続けたそうです。

ロナウジーニョらしいといえばらしいですが、日本代表の誰かが同じことをしたら大バッシングになることでしょう。

全盛期が短かった

ここまでロナウジーニョの輝かしいキャリアを紹介してきましたが、彼の全盛期は非常に短かったです。ロナウジーニョの全盛期は、2004~2006年の3年ほどと言われています。

理由は、練習をせずに遊びまくっていたからです。

今はそこまで言われなくなりましたが、ブラジル人フットボーラーの全盛期は短いと言われていました。

ブラジル人はとにかくパーティーや遊ぶことが大好きで、サッカーが二の次になってしまいがちだったのです。

ロナウジーニョも例外ではなく、パーティー三昧で体重増加によりコンディション不良でドンドンとパフォーマンスが落ちてしまいました。

バルセロナの栄光を取り戻したとはいえ、働き盛りの28歳のときに退団のような形でACミランへと移籍します。

しかも、メッシへ悪影響を受けさせないようにとクラブの意向もあったそうです。

ACミラン以降はクラブを転々としましたが、バルセロナの輝きを取り戻すことはありませんでした。

現在

引退後は慈善活動をしていましたが、2020年3月に偽造パスポートの疑いで兄・アシスとともにパラグアイ警察に拘束され、160万ドル(約1億7000万円)の保釈金を支払ったもののパラグアイのホテルで軟禁されていました。

同年8月にブラジルへと無事帰国しましたが、キャリアに大きなキズがついてしまっています。

また、逮捕前も破天荒な生活がクローズアップされており、2019年には故郷ポルト・アレグレで建築基準法違反を犯し、所有物が押収されたと報道されています。

過去のクラブチーム

1998-2001グレミオ
2001-2003パリSG
2003-2008バルセロナ
2008-2011ACミラン
2011-2012フラメンゴ
2012-2012アトレチコ・ミネイロ
2014ゲレタロ
2015フルミネンセ

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